熊人間(Werebear)はカードセット「オデッセイ」収録のクリーチャー・カードである。
前回の始祖グリーヴィル(Root Greevil)がダジャレ・カードだったので、今回も同じように下らないダジャレのフレイバー・テキストで知られる「熊人間」を取り上げよう。
熊人間の解説
He exercises his right to bear arms.
彼は武器を帯びる権利を行使しているのさ。
引用:熊人間(Werebear)のフレイバー・テキスト
上が英語原文。下が和訳製品版
熊人間(Werebear)はドミナリア次元オタリア大陸の熊に変身する人間ドルイドである。
RPGのD&Dなどのファンタジー・ジャンルでは、ドルイドの定番の1つとして動物や獣人形態に変身する能力や魔法がある。また、人狼(Werewolf)のようにある種の呪いによって熊に変身するモンスター「Werebear」もファンタジーではよく見る存在だ。
では、この熊人間というカードの場合は、果たしてどういった設定によって熊形態に姿を変えているのだろうか?
オデッセイ・ブロックやオンスロート・ブロックの小説作品群を読んでもこれに言及するような記載は(少なくとも私には)発見できなかった。そもそもオデッセイ&オンスロートの両ブロック期は、MTG史でも特に設定やストーリー面の整合性や連続性が緩かった時期だ。だから、もしこの熊人間が「ぼんやりとしたファンタジーの定番をイメージしただけの存在」であったとしても、私はちっとも驚かない。
熊人間のフレイバー・テキスト
He exercises his right to bear arms.
彼は武器を帯びる権利を行使しているのさ。
熊人間のフレイバー・テキストの英語原文はダジャレになっている。和訳文を見てもどこがダジャレなのか伺い知ることもできないので解説しよう。
原文の「right to bear arms」には2つ要素が隠されている。
その1:合衆国憲法修正条項第2条
まず1つ目の要素は「アメリカ合衆国憲法」である。
「right to bear arms」とは「武装する権利」のことで、これは「アメリカ合衆国憲法修正条項第2条」に記されているものだ。
修正条項第2条は日本人には馴染みはないが、アメリカでは状況が違う。ファンタジー世界の住人が現実世界のような言葉を持ち出してくる。このギャップに笑いがあるのだ。
とはいえ、このギャップを面白いと取れるか、ぶち壊しだと感じるか、この判断は繊細なライン上にあるだろう。架空のゲーム世界に折角浸っていたのに、このフレーズに出くわしたことで現実に引き戻されてしまった、と無粋な文章だと感じる人もいたのだから。
その2:熊の両腕
もう1つの要素は単純な言葉遊びだ。
「bear arms」は「武装する」と読めるが、同時に「熊の両腕」とも解釈が可能なのだ。前者は「bear」を動詞に、「arms」を「武器」と解釈しているが、後者は「bear」を名詞の「熊」と、「arms」を「腕」と解釈している。
つまり、フレイバー・テキストの文章を読むと「彼は武装する権利を行使する」と普通に読めるのだけれど、イラストやカード名を考慮に入れると、熊に変身して「熊の両腕を振るう権利を行使する」という含みで解釈ができる。
これもまたギャップで笑わせようとしているネタなのである。
エターナルマスターズ版の熊人間
To become is to understand.
変身とは理解である。
引用:熊人間(Werebear)のフレイバー・テキスト
上が英語原文。下が和訳製品版
熊人間はカードセット「エターナルマスターズ」再録バージョンでは、イラストとフレイバー・テキストが刷新された。
新バージョンのフレイバー・テキストは、噛み砕いて言うなら「何かになることが、その何かを理解することになる。」といった感じになろう。このカードの場合なら「熊を知りたいなら、自分がなっちまえばいいじゃん熊に」とこんなところか。
御覧通り、お馴染みのダジャレが無くなってしまっている。そのせいで、当時は惜しむ声も散見された。あのダジャレは下らないことは下らないのだが、愛着が湧いてしまったので、無いと寂しさを覚えてしまうのだ。人とは難儀なものだな。
では今回はここまで。